matsumushisou’s blog

映画やドラマと日々の生活

「小さいおうち」を母と観賞

母たちの家に着くと
父がテレビでトマトがおいしいって言っていたから「ガスト」に行こうと言い出しまして
なんとバスに乗って行きました。
 
若い人には、ない発想じゃないでしょうか?
「ガスト」って近くにあるから行こうって感じかなって思っていたのですが、
郊外に住んでいるものの感覚なのでしょうか?
まあ、わざわざおしゃれして時間をかけて母と三人で行きました。
 
駅の近くだったので、一応
母に「このあとどうする?」って聞いたのですが、無反応だったので
帰ることにしてバスにのったら、
「ねえ、ねえ、私たち、せっかくだから映画観に行くからね」って
父に言うのです。
 
えー?、でしょ
で、いきあたりばったりで映画に行きました。
 
以前に観たいと言っていた「小さいおうち」ですが
タイトルを言ったら、
「他には?」って聞くものですから
「じゃあ、マイティソーなんてどうかしら」と言ってまずは、シネコン
 
時間の関係で「小さいおうち」にしましたが、
とても混んでいてびっくりしました。
 
イメージ 1
http://prop.movies.c.yimg.jp/pict/uploader/ab/0c/346418_150x150_003.jpg
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あらすじ: 健史(妻夫木聡)の親類であった、タキ(倍賞千恵子)が残した大学ノート。それは晩年の彼女がつづっていた自叙伝であった。昭和11年、田舎から出てきた若き日のタキ(黒木華)は、東京の外れに赤い三角屋根の小さくてモダンな屋敷を構える平井家のお手伝いさんとして働く。そこには、主人である雅樹(片岡孝太郎)と美しい年下の妻・時子(松たか子)、二人の間に生まれた男の子が暮らしていた。穏やかな彼らの生活を見つめていたタキだが、板倉(吉岡秀隆)という青年に時子の心が揺れていることに気付く。シネマトゥデイ(外部リンク)
 
 
昭和10年から映画は、始まりますが、
母は、昭和5年生まれなので、とても懐かしかったようです。
物語はタキの親戚で、おばあちゃん、おばあちゃんと慕っていた健史が、
タキに自分史を書くことを勧めていた大学ノートを見付けたところから始まります。
 
タキが時子の家に奉公したいきさつから、書かれていて、
ある程度書くと、健史が、検閲をして励ましたり、誤字を直したり、たきつけたりしながら
次に進みます。
タキが奉公した家は、
遠くからも目を引くような赤い屋根をしたモダンな洋館
安定企業に勤めているご主人ときれいで若い奥様、可愛らしい坊ちゃん
 
ある時、坊ちゃんは、小児麻痺にかかってしまいますが
タキの懸命な努力によって歩けるように回復しますが、そのため
小学校は一年遅れることになります。
父の親戚にも小児麻痺にかかった人がいました。
足が不自由で言葉も話しづらい感じでした。もう父でさえ原因も何も
解っていないので、詳しいことは、わからないのですが、
母は、いつしか、自分の息子が幼児の時に亡くなったので、
小児麻痺だったと勘違いするようになって
いたので、余計に感慨深いものだったようです。
 
また母の兄弟の中で一番下の叔父さんは坊ちゃんと呼ばれていましたが
その当時は、小さな男の子は、坊ちゃんと呼ばれるのが普通だったのかもしれません。
 
南京陥落のニュースで、麻布のおばさまが、「デパートが安売りをするから
一緒に行きましょうね」と言うところで 健史は、
大変なことになっているのに、「おかしいだろう」とおばあちゃんに訂正を
促す。
「嘘を書いちゃダメだろう」とも言うが
戦争に勝っている時なんだから、国民はなんの不自由もなく暮らしていたはずで
むしろ、潤っていたのが正しいのだろう。
今、朝ドラの「ごちそうさん」でも、戦争前からやっているが、とても豊かな
暮らしぶりが描かれていて、戦争前って、こんなだったのかと思わさせられることが
多い。
母も子供ながら、金持ちのおじさんにデパートに連れて行ってもらっては、
好きなだけほしいものを買ってもらったとよく言っているし
自分は御嬢さんだともよく言う。
こちらの頭が理解できないだけだ。
 
時子の夫が会社の人たちを家に招いては
「近衛さんがどうにかしてくれるだろう」なんて言っていたり、
新聞を読んで「ドイツは、強いなあ」 なんて他人事のように言っているのは、
今も昔も同じような気がする。
 
太平洋戦争が始まって、男はみんな戦争に取られるのかと思っていたが
時子の夫は、年を取っているのか、対象外のようだ。
時子の夫のデザイン関係に入ってきた板倉正治
どこか文化のかおりを漂わせて、時子や、タキの興味を引く
その上、気管支がわるいとか、兵役にも付けず
それが逆に、若い男性がいない時なのでお見合いの的になり
時子が夫に言い使って
板倉を説得することになる。
 
何度も通ううちにただならぬ関係になるというのがタキの自叙伝なのだが、
タキが目撃したわけでもなく
タキの方が、板倉とも話す機会は多かったのだろうから、
妄想のような気がする。
酒屋のおじさんからの話から推測したのかも
 
タキは板倉とは、郷里が近いこともあり、恋心を抱いていたのだろうと思う。
坊ちゃんと一緒に海に行った時に
小さいおうちの油絵をもらったのかもしれない。
それでも時子奥様が板倉さんを好いているのならと
自分の思いを伝えなかったのかもしれない。
 
奥様はダンナ様と抱き合って亡くなっていたというのだから、
坊ちゃんに、奥様の恋心を伝えたのは可愛そうな気がした。
 
でもそんなことも含めて
母は楽しかったようだ。
戦争中、戦後色々な人に色々なロマンスがあったような話もする。
そういう話が必要だった時代だったのかもしれない。
 
そして私が、「小さいおうち」の本が読めなかった訳が分かったような気がした。
過ぎてしまった美しい思い出、どんなに脚色されても
黙って読むしかないのに耐えられなかったからだ。
 
母の思い出の中にも色々な話がある。
ハレークィーンロマンスを読むような話がいっぱいある。
娘が女性史を書くと言って母を取材した時に
どうしておばあちゃんは、歴史を背景に面白い体験をいっぱいしているのに、
ママのは、つまらないと言ったのを思い出した。