matsumushisou’s blog

映画やドラマと日々の生活

夜中の父からの電話

一昨日、父のところに行った時に腹痛を訴えていました。
もしかして熱射病かなと思い、
沢山水を飲むように勧めました。

翌日にはすっかりよくなったとのことでホッとしておりましたら
昨夜遅くに電話

連日、義母、父、母のところと出かけていたせいか
すっかり疲れて早々と寝ていた私

電話で目が覚めると
時計は10時すぎ、
頭の中を色々なことがよぎりました。

今から、かけつけなければいかないのか、
どことどこに連絡を取ったらいいのかと

すると
「今ね、三国志のテレビをやっているんだよ。よく解るね」
だって。

「良かったね」と電話を切った私
あわてて、お風呂から飛び出してきてくれた娘

「悪い知らせじゃなかったみたいね」


すっかり目が覚めた私
メールを確認すると、

『ブログお引越し完了』のお知らせが届いていました。
fc2に無事お引越しは出来たみたいですが、
修正とか、削除とかは、もちろん、ブログがまだモノクロです。

なお、なかなかお引越しできなかったのは、
もしかしたら、認証番号を間違っていれていたのかもしれないし
全公開じゃない記事が多すぎたのかも

一つ、一つ読んで行くと、改めて色々なことが解って来ました。
何度もあちこち故障を起こしていたり、
母の変化
お孫ちゃんの事を子供扱いしてちゃんと答えていなかったことなど
よく解りました。
みなさんの温かいコメントにも、どれだけ励まされたか
ありがとうございました。

fc2には、scabichanで開設
6件ほど、移行出来ていないようですが、どれがダメだったか解りません。

こんな年になって、夏休みの追い込み課題に奮闘するとは
思っていませんでした。

移行できない私

少し時間ができたので、ブログを移行させようと、あちこち登録してみた。

アメバブログは、もともと持っていたので、


というタイトルでやっている。

なかなか移行がうまく行かないので、こちらに映画関連だけでも移そうかなと
思う

はてなにも開設したけれど、移行させたら、こちらを使えなくなると書いてあったので
二の足を踏んでいる。

介護の記事は、どうしよう。
一応、なんか移行できなさそうな記事だけ、削除したり、他に保存したりは
してみてはいるのだけれど。

取り合えず、今日は施設の家族会
帰って来てからまた考えるとしうようかな。

なんか勘違いしているかな?

区の健診 検体を運ぶ

父のところに区の健診が来ていた。

いつもは父が予約を取って来て、その日に私が一緒に行くパターンだったのだが
弟が連れて行ってくれたそうだ。

しかし、予約を取って行かなかったので、
検便は後日と言うことになったと言うことだ。

そこで、健診の日から二日たった日に私が父のところに行くと
二日目が取れていないとのこと

そこで次の日の朝に電話すると取れたと言うので
私が病院に届けるからと言った。

父はデイサービスに出かけてしまうので、昼間家は暑くなってしまうだろうと
思い、すぐに出かけた。

すると玄関の下駄箱のところに二日分の検体が入った袋が置いてあって
ご苦労さまとメモ書きがあった。

診察券は入っていなかったので、部屋に入ってそれを取り
もって行ったはずなのに、
何故か診察券を忘れ
手続きに時間がかかり、届けただけなのに、一時間半くらいかかってしまった。

二度手間ではあったが、
今回、健診には、付き合わなかったので、弟が4時間もかかったとぼやいていた
けれど、他の人にも健診につきあう苦労が解って良かったかも

冷蔵庫の氷が作れないと夫

ある日の朝
夫が冷蔵庫が壊れたと大騒ぎ
氷が全く作れていないとのこと
あたらしく水を入れ替えたが、氷を作らないと
こんな時期に冷蔵庫を買い替えなくちゃと言います。
ちょっと待って、実家でも氷を作らなくなったことがあったけれど
弟が直して、今は普通に使っているよ。もう20年ものだけれどと
いいますと夫は出かけて行ってしまいました。

そういえば、
全日、製氷の引き出しが少し開いていて水が漏れており
氷が水になっていたのを思い出した。
引き出しをきれいに入れ直し
回りを拭いて冷凍庫の中にこおりが落ちていたので、それを取り除いたのを
思いだし
冷凍庫を取り出して、霜を拭きとり
製氷用の水タンクを掃除してみました。
その後、製氷皿を見てみると氷が出来ていたので、それを
製氷ボックスに落として、その皿もきれいに拭いてみました。

しばらくして夫が外出から帰って来ました。
すると
「すごいね。ママは、冷蔵庫直しちゃったの?」
と言いましたが、
どうせ、お皿からうつした氷を見ただけだろうと思いましたら
「氷が出来る音がしたから、ちゃんと直ったんじゃない?」

まあそれからは、氷を使うたびにママが直した。ママが直したと
言ってくれていますが、
大騒ぎをする前に、マニュアルを調べるとか、ネット検索するとかの
時間がほしいな。
もちろん、夫がやってくれればベターなのですが。

96歳障害者手帳を持つ父と行く「三国志展」


前回上野の国立博物館平成館に行ったのは、父が95歳になり立ての頃でした。
今、思えば、まだあの頃はなんとか博物館の中を、歩くことが出来たのですが、
今回は、
絶対にムリそうです。
しかも前回は男手が二人いましたし、私も、整形外科のご厄介にはなっていなかったので、父の力になれました。

今回は、下の娘がついて行くと言うので父の希望を叶えることにしました。
でも不安だらけなので、
博物館に電話して車椅子を借りることにしました。
車も障害者スペースに置かせてくれることになりました。
と、ここまで準備して行った当日

なんと思いもよらなかった渋滞にはまり、予定より一時間も遅く到着
しかし、
三国志展」は並ばずに入れる状態でした。

車椅子でエレベーターを使い二階に行くと
ガイドを借りると言い出す父
最大音に設定してもやっと聞こえるくらいらしく(もちろん補聴器もつけて)
時々、説明を私たちに請う有様
それでも、父のやりたいようにさせて
展示物を端から見て行きました。
イメージ 1
見終わった時には
かなり疲れましたが、200年代にこれほどの文化と生活を送っていた中国と言う
国の国力に驚かせられました。

車椅子で行ってもあまり場所を譲ってくれる人がいなくて
こうやって、すぐ前で見られることは稀でしたが
特に若い男性は場所を譲ってくれることが多くうれしかったです。
やはり横山光輝の漫画の人気なのか、曹操の墓からの副葬品とか、
曹操の墓をイメージした
場所などは、人が少なくて良かったです。
イメージ 2
弩(弓)が放たれた様子をイメージした天井
量で、敵に恐れを抱かせたようで、これが目の前から降って来たら
ほんとうに怖いですね。
おみやげもなんかアニメのキャラっぽいものが多くて三国志の地図だけ買って
帰って来ました。

認知症でもある?死への恐怖

先日、母のところに行って来ました。
退院後一週間ぶりです。

しかし、父に母のところに行くと行ったばかりに
朝から電話があり、母のところに行く前に床屋に連れて行ってほしいと

父は一階のデイ
母はその上のGHですので、
まずは、11時ころに着き父のところに行き
床屋に連れて行きました。

ところが猛暑のせいでしょうか、
駐車場のない床屋のため、道路脇に止めて父をおろしたところ
入口までのスロープが登れないと言う。傾斜数パーセントくらいのゆるやかな傾斜
なのですが
あわててお店の人が出て来てくれましたが
終わるころにまた迎えに来るということでいったん退散
世田谷の駅に近い床屋、駐車場も見当たらず、父のために
2時間くらい割いた挙句迎えに行くと
12時過ぎていましたので、
「僕の食事はどうなるのかね」と言う第一声

父に悪戦苦闘した挙句に母のところに行くと
母は丁度昼食を終えるところ

認知症の人は記憶が出来ない分、感がするどいのか、
徐々に不安げな感じになって行きました。

私が愛想をふりまいても、父への不満が感じられてしまったのか、
「何? 私を殺しに来たの?」
なんて言う始末

スタッフが食堂から部屋まで送って来てくれて
「娘さんとしばらくお話をしたら?」
と言ってくれたのに、
ずっと不安げな様子
歌を歌っても
「うるさい」
ぬいぐるみを差し出しても
「あっちにやって」
「どこか痛いところがあるの?」と私としては、最高に優しい感じで
身体をさすろうとしても
「怖い、怖い、死ぬのが怖い」と言っている。

隠そうとしても隠しきれない父への不満が
見えてしまっているのかもしれない。
次の日も父に付き合うのが解っているのに、
自分の用事をさせる父を優先しなければ良かったと深く反省

認知症の人は病気への不安がないので、
ストレスが少ないと先日
ドクターの説明を受けたばかりなのに、
母にストレスを与えてしまった。
早々に帰ることにして
スタッフから、退院後の母の様子を聞くと
割りと元気に過ごしているらしい

たった三日の入院で足がふらついていたらしいが
それも一週間たった今では回復
感情の起伏はあるものの
この日はヘアーカットもしてもらい
お風呂にも入って気持ち良く過ごしていたらしい

よく母にはポーカーフェイスと言われたものだが
繕えない不満が顔に出てしまったのかも
気をつけよう

検査入院3日目 結果と退院

検査入院3日目
弟は、昨日まで休みを取っていたためにドクターのお話を
一緒に聞きたがっていましたが、連絡ミスだったようで
三日目になりました。

胃カメラの結果は、多数の潰瘍の後があるものの今は問題なし
多分、骨折した時のストレスで出来たものでしょうと言われました。
心臓にも問題なく、血液検査でも多少の炎症反応はあるものの
貧血の値も前回よりは良くなっているので、今の主治医の薬が
合っているのでしょうとのこと
次に造営CT検査の結果
上行結腸癌の疑いとその所属リンパ節にも腫れがありそうだが、
それ以上には、転移はなしとのこと
そこで二つの提案を受けました。
一つは、貧血が進行した場合、2,3日入院して輸血を受ける
貧血があると心臓への負担があるので、心不全を起こすことがあると
言うものと
検査をしていないので、腫瘍の大きさが解らず、もしかしたら
かなりの大きさがあれば、そのうち大腸の壁を圧迫して食物が通らなくなり
腸閉塞をおこすかもしれない。
腸閉塞は、若ければ、イレウス管を入れて治すことができるが
高齢になれば、それも難しいくなり、対処療法で苦しむかもしれないとのこと。
これは、義父の時に、義父がイレウス管を拒否して約一か月後に亡くなったのでも
解る。

二つ目は
大腸内視鏡検査をして、腸内の確認をしたあと、手術へと進むが
高齢のため、2リットルの下剤を飲むのは難しいだろうとのことと
本人が飲めるだけ飲んで、ある程度大腸がきれいになったところで
検査をする。
しかし、癌があるだろう場所は、一番入れる場所から遠い場所なので
そこまでカメラが行きつかないかもしれないとのこと
そして、たとえ、確認が出来て手術が出来たところで、高齢のため
術後に認知機能がより低下することとに加えて、骨折後まだ歩けない
状態のため、体力も奪われるリスクがあるとのこと

しかし、こういう腫瘍もストレスが多いと大きくなる危険性があるが
幸い認知症のため、病気を気にやむこともないので、90歳の壁を
突破出来れば、4,5年は、普通に生活できるかもしれないとのこと

そこで、弟と相談して、退院させて、何かあれば、また病院に来ると
いう事に決めました。
弟は、仕事だったので、ちゃんと伝わっていたのか解りませんが
電話がほしいとメールを送ったところ一にも二にも退院と言っていましたので
そのようにしました。
もし手術を選ぶことになっても、今はまだ施設になれることの方が
母にはストレスが少ないのじゃないかと思います。

11時半にドクターの説明を受けてから、弟と相談して退院を決め
ドクターと看護士がサマリーを書いてくれるのを待つのに、かなりの時間が
かかりました。
ドクターは今週中に退院すればいいと思っていたようですが、
この日は下の娘が応援に来てくれているので、二人で連れて帰れますが
他の日だったら、誰も頼めませんので、頑張りました。

それでも体を固くした母の扱いは大変で
パジャマの着替えでさえも二人がかりでも息が上がるほどでした。
それでもサマリーが出来た時には、四時を回っていましたので、
二人で車椅子にまで乗せ、玄関まで車を寄せて
母を車に乗せるべく四苦八苦していると見かねた看護師さんが
手を貸してくれました。
ちょっとやり始めて、なかなか困難なので、男性を連れてくると言いましたが
警備の男性を見て、なんかあきらめたのか、私たち二人も手伝って
なんとか、乗せました。

施設に着いて、スタッフに着いたことを告げると
施設長さんが来てくれて、なんと母をかかえあげ、声を掛けながら
歩かせて車椅子に
乗せました。
この三日間、移動方法の色々な技を見せて貰いましたが
施設長さんは、小柄な女性なのに、すごいです。
あとから車を駐車場に入れて
荷物を持って行くと、母は、おやつの席ににこやかに
座っていました。
母がおだやかで良かったなと思いながら施設長さんに説明をして
荷物を整理し
車に戻ってくると、娘が帰りがけにサーティワンアイスを食べようと
言うので二人のご褒美にしました。