matsumushisou’s blog

映画やドラマと日々の生活

大人が子どもに与える影響

長男が三歳の頃、迷子になった。

と言うか買い物をしていたら、いなくなってしまった。
どうしたものかと心当たりを探していたら、
ショッピングセンターのアナウンスで
「スカビさま。スカビさま。お連れ様が案内所でお待ちです」
とアナウンスが入った。

案内係の人が気を効かせて、一人でいる息子を見つけて放送してくれたのかと思ったら
息子は、私の姿が見えなくなってすぐに案内所に行ったらしい。

「家なら一人でも帰れるもん」とうそぶいていた。
いや、本当に帰れたかもしれない。家から10分くらいのショッピングセンターだったから。

自分も3歳の頃、お祭りで山車について行って、隣の駅で解散になって一人で
帰って来たことがあるから、本当に、親が心配していると思って案内所に
行ったのかもしれない。

良い判断だったかもしれない。どう対処したのか、覚えていないが、その後迷子騒ぎはないまま幼稚園に行くようになった。

けれど、
幼稚園のころ、
友達が知らない人についていったのを心配して一緒について行ったことがあった。
その知らない人は、その友達の家の近くに住む独身の女性で、
いつも幼稚園の帰りの解散場所に来て、みんなの様子を見ていたという。
私は、いつもどおり行ったけれど、その日は
早くに解散になり、見慣れた顔の人が連れて行ったので、誰も怪しまなかったという。
ところが、その解散場所から、家まで一本道のはずなのに、
何故か、解散する手前から脇道に行かれるところが何本かある。
何本かあるから、一本道まで送ってくれるのに、
その手前からどこかに連れて行ったらしい。
人の多い方には、行かないだろうから、人けの少ない公園などを探し回り、
大勢の人に聞きこんで、やっとその友達の近くの人らしいと
当たりをつけて、
尋ねて行った。
案の定、息子が、鉛筆とおやつをもらっちゃったと言って出て来た。
取り敢えず、息子と友達を返してもらって
外に出ると
息子は、R君が心配でついて行ったというが、やはり夕方になっても
帰してもらえず、怖かったらしい。

R君の親には、ことの次第を話して、解散場所には、迎えに来た方がいいと言った覚えがある。

R君は、いつも迎えがなくて、一人でぶらぶら帰るのが常で、彼がマンションの敷地内に入るまでは、姿を見送っていたが、
このようなことが起きてから、息子まで危険に巻き込んでしまって
R君の親に強く言ってなかったことを深く反省した。
R君を見送るのが常だったので、私がいなくてもR君の世話をしなくてはいけないと
思ったのかもしれない。
息子には、ついて行かずに近くの大人にすくに話すようにと諭した。
幼稚園の先生も、誰か親がいればいいと思って解散したのだろう。

その後、解散場所に行くのは当番になって、敷地内まで、全員連れて来るのが
決められた。

子どものしつけって本当に難しいと思う。

今回、北海道の子供おきざり事件
憶測で色々いう事は出来るが
その親子にしか解らないことも色々あるだろう。
もしかしたら、親が山の中で迷ったら
雨露しのげるところにいるといいと言うことを、家族で話したことが
あったかもしれないし、親戚の人がそういう話をしていたのかもしれない。
その子に話していなくても、耳に入っていたのかもしれない。
やんちゃで人のいう事を聞いていないようでも、耳には入っていたのかもしれない。

映画「殿、利息でござる」でも、主人公の穀田屋十三郎が
お父さんの話をちっとも聞いていなくて
養子に出されたとへそを曲げていたが、いざと言う時に
遊びながらでも父親の話を聞いていたということで助かる場面がある。

この子が助かったのも、家族や知り合いのおかげなのかもしれない。

もしものことがあったら
この家族はバラバラになるなと思っていたが、
無事なおかげでより強く結びついていかれると思う。

どうかどうか、この捜索に関わった人たちや、日本中で心配していた人たちにも
多くの幸せが訪れ、またのちのち良い教訓となりますように
祈っております。