matsumushisou’s blog

映画やドラマと日々の生活

認知症についてよく解らない方、でも理解しようとする方へ

私は認知症患者の介護者です。
ほんの十年前は、まだ痴呆と呼ばれていました。

平成12年(2000年)4月にスタートした介護保険制度
平成16年(2004)厚生労働省の用語に関する検討会が、一般的な用語や行政用語としては「痴呆」ではなく「認知症」が適当であるとの見解を示しました。

痴呆の痴は、おろか、知恵が足りないと言う意味で
呆は、あきれる。

まだ認知症=痴呆と思っておられる方も少なくない、
一方で
年を取れば、誰も認知症になると思っておられる方もいる。

このはざまで、認知症患者の家族は苦しめられる。

前者は、認知症だと物事が何も考えられない。トイレの世話も人任せ
騒ぐ、あらぬものを見て、大声を出す。
力の加減が解らないから、暴力もふるうと思っている。

だから、認知症サポーターの会に行った時に
母が「認知症かもしれないと不安になっている」とお話しした時に
誰もが認知症の人は自分が認知症かもしれないなんて思わないから
違うと相手にしてくれなかった

認知症って不安のかたまりなんですよ。
それを取り除いたり、軽減すれば、普通の人と同じように考えるんです。
記憶が時々飛ぶから
それを補ってあげると、とても穏やかです。
今は記憶が飛ぶことの方が多く、本人も記憶に関してはちょっとあきらめモード
ですが、最初の頃は、自分の身に起こっていることが信じられずに
随分、自暴自棄になりました。
やる気も随分なくしました。
この世の中の誰もが信じられなくなってしまうのです。
自分が否定されているように感じてしまうのです。

認知症でも生きる力があります。誰が信じられて、誰が信じられないか
記憶が飛んでも、そこだけは覚えていようとするみたいです。

でも、朝ご飯を食べたかを忘れても、ちょっと気持ちを高揚させるようなことが
あれば、やる気がおきるのです。
本人がやる気を起こすまで、私は待っています。
だから、働きかけが足りないなんて言わないで下さい。

また誰もが認知症になると思っている方
高齢の家族がいると言うだけで、施設を予約しろなんて言わないで下さい。
あるアラウンド80歳の方が
言いました。
とても良い施設があるから、予約をさせて下さいと言ったら
十年くらい待たないと入れませんよって言われたそうです。
待機の人がそれだけいるってことでは、ないんです。
要介護度が高く、施設を必要としている人から入っていただくので
年は取っていて、少しばかり動くのが遅くなったり、話すのが遅くなったくらいでは
施設には、入れませんよと遠回しに言われただけなんですから
それをみんなに当てはめないで下さい。

介護家族の会も、息抜きの場ならいいのですが、
余計なアドバイスは、欲しくないのです。
愚痴の言い合いはイヤなのです。
ちょっとばかり人の手助けが必要ですが、
一生懸命生きようとしている人の介助をしているだけなのです。
だから可能性を見つけたあげたいのです。

どんなところが欲しいって。
まずは、映画館
今、子供向けに映画館がだいぶ色々な試みを行っています。
よければ、高齢者にも
そういう機会が欲しいです。

ちょっと短め、もしくは、途中でインターミッションがあるといいですね。
45分くらいで休憩。ちょっと手足を動かして水分補給して
後半を観るなんて、いいと思いませんか?
高齢者は、長い時間座っていると血流が悪くなるので。
少し明るめで、わいわい観られるもいいですね。

カラオケなんかも明るくて
歌っている人が写っているバージョンがいいですね。
リードしてくれる人がいれば、ちゃんと歌えます。
歌は呼吸器を強くして、回想法にも役に立ちます。
歌っている顔を見ながらだと、歌いやすいと思います。

まだ痴呆と言われている時は、
外出なんてままならなかったようだ。
母の施設も10年前は
家族が会いに行く事も出来なかったらしいが、
少しでも普通の生活をすることで、認知症の進み方が軽減できるのであれば
どうか、この人たちを受け入れてくれる場所の多いことを望みます。