matsumushisou’s blog

映画やドラマと日々の生活

怒りだけは、続いてしまうのか

昨日の剣幕
案外こういうことは覚えているから、やっかい。
どうせ電話のあと、延々と父とやりあっているのだろうから、
忘れるひまもない。←これはひまで大丈夫?
 
なんだかぐずぐずして沖縄人じゃないけれど(沖縄では、ゆったり時間が流れているらしい)、
9時すぎに出発(9時到着と母には言ったけど
着いたらやがて11時になろうと言う時間だった
 
父が出迎えてくれて、
昨日から母が全然口をきいてくれないとのこと。
 
部屋に行くとベッドに頭から布団をかぶって寝ている。
人との接触をさけるかのように。
 
もうどんな思いでここに来たのかわかっているのかな(-_-#)と思ったけど
ここで怒ったら元の木阿弥
 
普通に声を掛けてもだんまりを決めている。
 
よく介護度の初期でてこづっている人のブログを読ませていただく。
そこには、戻れない
やっぱり、どこか気力が違う。
意欲もない。
それなのに、母は自分が何をしでかすのか、それさえもわからないと言う。
 
認知症が進んでいるのかいないのか、こちらには、よくわからないが
以前は、激昂したら、納まるまで少なくとも30分は、かかった。
朝起こしてからデイサービスに送り出し、行っている間に洗濯や掃除
自分の家の用事も母の家に持って来てやっていた。
お迎えをして食事をさせ、帰って来る
怒らせると帰れない。
少しは、良くなって貰いたいと激励したこともあった。
良いと言うことはなんでもやろうとしていた。
いつか良い薬が出来るまで、なんとか進行を遅らせたいと思った。
でも、それと同時に自分も健康でなくては、と言うことが分かって来た。
母が発症してから、父の入院が一度、
私の骨折は、何度目だろう。
その度にデイサービスが増えたり、ヘルパーさんが来るようになったり、
ショートステイを経験したりして他人の手にゆだねることが多くなった。
手を貸して下さる方たちへの感謝の気持ちが母への対応を
柔らかくしているのかもしれない。
 
 
久しぶりのピーンチ
父は母の前で母のことを愚痴る。
だ・か・ら・うちの天照大御神は、ますます岩戸ならぬ布団をしっかり握りしめて
出てこようとはしない。
今怒り出したら以前以上のことが怒りそうで怖い。
 
そこで父が観たいと言っていた「終戦のエンペラー」の話をすることにした。
父も乗るだろうし、映画好きの母も気になるだろう。
しばらく話していたら、それに熱が入って母のことを忘れてしまった。
ベッドを見ると、母がいない。
 
あれっと思っていたらトイレから戻って来た。
何事もなかったかのように、どこに行くの?
どこに連れて行ってくれるの?
と聞いて来る。
 
じゃあ着替えようと手伝っていると虫刺されの後がいくつかある。
あらあらどうしたの?と言うと
心配されたのがうれしいのか、父の存在を忘れている。
 
支度を終えて、父に報告に行くと一緒に行くと言うので
二人を連れて出かける。
あんなに悪態をついていたのに、便利なものですっかり忘れて
二人してあ、うんの呼吸で戸締りをしている。
 
行く間中、久しぶりの映画でうれしい。楽しいと言いながら
映画に行き、はじまるまでの間、仲良くソファで待ち、
順番にトイレに行き、夫々の飲み物を買い、
映画に感動し、
楽しく帰って来た。
 
帰りにかきあげそばを食べたのがいけなかったのか、父が
胸が痛いと言い出した。
父に
ちょっと休んだらと言っているのが気に入らないのか
母が、
「私のバッグがない。探してよ。」と騒ぎ出した。
父は心臓が弱いので、去年も脱水症で不整脈を起こしかけたので
心配だ。
父も休ませたいし、私もちょっと一息つきたいのに、
母は自分は動かず、バタバタしてお腹が空いただの、何か飲みたいだの
落ち着かない。
3月に胆石を取ったばかりなので、胆嚢の場所がわかるようになったので
その辺りを押すと
父が痛いと飛び上がった。
チクチク痛いからちょっと休んで来ると寝室に行った。
私は無痛の胆石症だったので、対処の仕方がわからないけれど
治まればいいけれど、治まらなければ病院に連れて行かなくてはならないかなと
しばらく母が父の邪魔をしないように相手をしている
 
6時半を過ぎたので夫にメールをしていたら電話が来たので
訳を説明し
父の様子を見に行って、大丈夫そうと言うので帰って来た。
 
帰って来て娘に母の様子を話すと
「大人が真剣な顔をして、なんかしていると
ふざける子っているじゃない。
それなんじゃないの。
きっと二人とも怖い顔していたんだよ。だから、場を和らげようと
おかしなことをしたんじゃない?」
 
そ、そっか。
あの時
「私も父様も体が痛いの。どうしても今、必要なら自分で探してくれる?」
と懇願するように言ったらベッドに飛び乗って、
「こんなところにあったぁ」
なんて、言ってた。
母なりの気の使いようだったのかもしれない。