matsumushisou’s blog

映画やドラマと日々の生活

不整脈が出たと聞いて心配しながら行った実家

弟から、

昨日、父が胸痛を訴え、看護士が不整脈と判断した

と言うラインが来ました。

 

今日も胸が痛いと言っていたらどうしようと思いながら

実家に着いてみると、

なんと97歳の父が庭で、雑草を抜いていました。

私が行くと

「きれいになったでしょ」

私は口をあんぐり

どこも痛くないのか、施設長からの連絡が弟に行っていたが、

仕事中に報告するとんでもない人だと怒っいたと言うのでt

くれぐれも施設からの連絡は受けていない態で

「うん、寒いから部屋に入ろうよ」と

うながす。

 

部屋に入ると、新聞紙がまとめられている。

前回来たときは、まだ半分くらいだったはずと

調べてみると、新聞に混じってビニール袋とか、ゴミが混ざっている。

それをどけて、きれいに入れ直していると父にお弁当が来て

お食事

本日のメインは肉じゃが。

私は、相変わらず、納豆ごはんでご相伴。ヘルシーだわ。

ご飯が終わって

コーヒーを入れてくれたので、飲んでいると

「ねえ、駅まで行ってよ。」

拒否(車に乗せたら最後、あちこち連れて行かされて一日が終わる)

 

午前中の続きをやる。そうやって、かたづけをしていると

「ちょっとトイレ見てよ。もうちゃんと直ったのだから」

どれどれ、水位がちょっと高いよ。

ラバーを使ってみると、汚い水が出て来る。

「ダメだよ。これで使っていたら、また詰まるよ」と

また、ちゃんとした水位にもどすべくトイレにお湯を流して

お掃除

すると、

「ちょっと郵便局まで行って来る」と

言って、父は出かけてしまった。しかもウールのシャツにアルパカのベストだけで。

私はダウンを着て来たと言うのに。

その後、テレビを観ていると言うので、

またトイレを掃除していると

今度は庭から、うーん。うーんと言う声

見に行くと庭に石を敷き詰めている。

 

「お庭手入れしてもいいけれど、昼間のあったかい時間にやってよ」と

言って部屋に入れる。

うーん。じゃ夕ご飯の支度をするかと言って

台所に立つ。

お弁当と言っても、中身だけなので、食器は用意しなくちゃならないのだ。

食事の用意も後片付けも父がやる。

手慣れたものだ。

こっちは、洗剤の補給やら、シンク周りの汚れを取るくらいかな。

まあ、それが見事なくらい汚れてはいるのだが。

しかも私がいない間に色々と整理するらしくて、

床拭きペーパーを捨てようとしたり、私が昼食のお供に買っておいた食材も

捨てようとするから、大変

納豆にふりかけだけじゃ、足りないので冷凍食品やフリーズドライをそっと隠しておくのだ。

料理すればいいと思うだろうが、残ると何日か後で父が食べることになるし、

ゴミを増やすとゴミだしの時に気の毒だ。

 

取り敢えず、心配して行ったはずなのに、外に出たがる父をなだめて家に入れると言う

妙な展開になってしまった。

 

 

施設のスタッフ 

母はこの4月に4年ほどいたGHから他のGHに引っ越しました。

 

以前のグループホームは、男性のスタッフばかりで、よく利用者さんに話しかけていました。

母は何度か骨折をして車椅子になっていましたが、男性のスタッフさんが多いので、

トイレに行く時は手を引いてもらって歩いていました。

ところが、私は二か月に一度の病院通いがかなり辛くなっていました。

私の力では、どうにも歩かせることなんて出来ずに

車椅子からの移乗も難しかったのでした。

それでもスタッフさんによると伝い歩きが出来るとなっていて、

そう言われると、歩かせられないまでも車椅子の移乗くらい出来ないのは

私に問題があるのかと思っていました。

 

ところがグループホームを引っ越してみると

こちらは、女性のスタッフさんばかりで、どうにも支えて歩かせることが出来ないというのです。

本当に伝い歩きをしていたのですか?

と言う疑問をスタッフさんから投げかけられ、病院への健診も車椅子の移乗も

難しいとのことで、介護タクシーを教えてもらったり、

車のところまでついて来てもらったりしていました。

 

母は以前の施設でも食欲がなくて、食事回数が少なく便秘がちでしたので、

そのまま見守りと言うことになっていました。

それでも、スタッフさんに対して、かなり言い出い事を言って

また言いたいことを言っていたせいでか、よく一人でテレビにお守りをされていました。

 

そして新しい施設に移ってからは、随分大事にされて、随分穏やかになっていましたが、疲れることが多いようで、よく部屋で休んでおります。

食事も一時はかなり回復してよく食べるようになっていたのですが、こちらでも転倒してから食事の量が減り、体力の減少が見られます。

食事の介助も以前のところは、ほとんどなしで

毎朝、同じメニュー。昼ごはんは、野菜が沢山入っているメニューで、どれも一口大以上の大きさなので、母は箸で切ろうとするだけで疲れていました。

こちらの施設は、柔らかく、細かく刻んでありますし、食べずらそうだと、ご飯は小さなおむすびにもしてくれます。

 

向こうの施設は、私語だか、話しかけなのか、スタッフ同士でもよくお話していたので、いつもにぎやかでした。

こちらは、スタッフの皆さんが静かにお仕事を遂行していると言った感じで、最初のうち私も緊張しました。

どっちがいいのか、相性なのだろうとは思います。

何がよくて何がいけないのかもわかりません。

ただ、以前の施設では、起きたら、ずっとリビングにいると言った習慣なので、

母は時々、イライラしていましたが、でもそれが活力だったのか、元気そうに見えました。

リビングからちょっと離れた廊下で、母は長い時間車椅子に座ってテレビを観せられていたけれど、ぷんぷんしながらも、ちゃんと座っていました。

こちらでは、食事が終わると部屋に戻って休息を取ります。

食事の少しまえに、みんなで、食事について話したり、ちょっと体を動かしたりしてから、食事をし、午後には散歩に行くと言った日課でしょうか。

 

それ以外の時はなかなか起きられない母を見るのは、辛いですが、

穏やかに話ができるのは

大変うれしいです。

もう体力の回復はないのでしょうか。

心配で、もっと会いに行ってあげたいのですが、

こちらも昨年腰の調子をおかしくして、寒くなると歩くのがきつくなります。

また引っ越しで腕も痛めてしまい、やっと横を向いて寝ていられるようになってきましたので、大事にしたいところです。

でもまた座った母と色々ゲームをしたり、折り紙をおったりする時間が持てることを願っています。

施設にいる母に会いたい父

どうしても、こちらのブログに中々入れないので

ご無沙汰気味です。アメバの記事と少し変えています。

12月4日

 

父がどうしても母に会って、昔の写真を見せたいと

言うので、連れて行きました。

 

施設に着いてみると、12時前なのに、母はもう

昼食の真っ最中

 

それなので、父は

自分もどうしても食事がしたいと言い出し

神戸屋へ(なぜか神戸屋にこだわる)

 

とても混んでいて、30分くらい待たされました。

席に着くとすぐに注文

そして、

「ここは、パンおかわりできるんだったよね。」

って、ことでスタッフを呼んでパンをまず頂きました。

このかごの中にはないですが、

神戸屋スペシャルとオレンジあじのもの

レーズンパン、手前に写っているやわらかいフランスパン

いちじくとクルミのパンを

複数個

3回くらいおかわりしました。

次にコーヒーを頼んでこれも2回か3回

 

メインは、ものすごい勢いで食べ散らかしたので

お店のメニューから

私は、父ほどパンは頂かないかわりにサラダをいただきました。

父はそれも欲しがりましたが、

生の野菜は、あまり食べないので、却下

お料理の中の野菜はみんな炒めたり茹でてあるので、

私の分も少し(人参を気持ち)あげました。

 

さて、食事のあと、施設に戻ると

母はベッドの中で元気そうだったので、

椅子をお借りして、父は母に若いころの写真を見せました。

結婚する前のものや、親、兄弟姉妹のものを

沢山見せていました。

「隣に写っているの、誰? ○○照子さんじゃない?」

母がほとんど口をきかないので

「苦労かけてすまなかったね」と

言っていました。(こういうのは病気になる前に言わなくちゃ)と

冷ややかな娘  (今父に振り回されて母の苦労がわかる)

父が母のお父さんの写真を見せたら

解ります

と言っていました。さすがおとうさん娘(認知症を発症してからもお父さん、お父さんと言っていた)

そして

今年生まれたひ孫の写真を見せると

笑みがこぼれ、父が

早く(母の)写真を撮れと言っていましたが、

敵もさるもの、

撮ろうとすると口を閉じてしまうのですよ。

 

父へかすかな抵抗でしょうか。

父が

写真の説明をしたり、

「クリスマスは何がほしい」とか、

話かけるのですが、

あまりにしゃべらないので父は

三百六十五歩のマーチを歌っていましたよ。

だんだんに声が大きくなったのでしょうか。

 

施設長が来て

「日によって違うのですよ。お話になる時は沢山話されるんですよ」

と言ってくれました。

 

ちょうど、入れ歯が緩くなって明日歯医者さんが来てくれると

言う話もあったので、話しづらかったのかもしれません。

 

父は「今度は息子くんと来るね」と言い置いて

帰って来ました。

母の施設グループホームの往診

母の施設では、往診が月に二回あります。

引越し前のGHでは、往診は、クリニックの暇な時にドクターが往診に

来るので、往診に出会ったことはなかったのですが、

そしてドクターにお話を伺いたい時は、クリニックの診療時間に予約を取って

聞きに行かなければならなかったのですが、

 

今度のGHでは、往診時に立ち会うことが出来ると言うので行って来ました。

4月に入居以来二度目です。

多いのか少ないのかわかりませんが、最初は来て下さいとのことでしたから

どなたも一度は経験されているのだと思います。

 

母の部屋に入る前に母の症状のことで説明を受けました。

そのあと、本日はインフルエンザの注射をするとのことで

ドクターに続いて、クリニックのスタッフが3名、GHのスタッフが2名入りました。

GHのスタッフが母の健康状態を説明しました。

食事が一日に一回程度しか取れていないので、 エンシュアを与えていますと言っていました。

あと、口の片側が赤く腫れているので、何かつけた方がいいかとも聞いていました。

ヘルペスだと心配なのですが、ヘルペスの薬は作用が強いし何がいいでしょうかとのこと

結局、エンシュアを一日一回分と唇の腫れに効くお薬が処方されるようでした。

その後、インフルエンザの注射ですが、

母は注射が嫌いなので、GHのスタッフさんが腕を押さえることになりました。

みんなで注射するよと口々に言うものですから、

大丈夫かと心配しましたが、

「痛ーい」の一言で済みました。

 

往診が終わったあと、母にタブレットで、音楽を聞かせました。

大好きなトルコ行進曲をかけると

「?」と言う顔をしたので、よく見るモーツアルトでした。

ベートーベンのにすると落ち着いて聞いていました。

次に「無縁坂」「忘れな草をあなたに」

なんか暗い曲が好きみたいですね。

ベッドから腕をだして、リズムを取っていたら、ウプウプって

言い出しました。

「どうしたの?」って聞いたら

「気持ちわるい」って言います。

スタッフを呼んで来て、もどしてもいいようにベッドを

起こすと、体位を換えたことで治ってしまったようです。

もしかしたら、空気を飲みこんでしまったのかもしれません。

 

あとはスタッフに任せて帰って来ました。

インド映画「ヒンディー・ミディアム 」  子どもに託す親心

 

 

解説

スラムドッグ$ミリオネア」「ジュラシック・ワールド」のイルファン・カーン主演で、現代インドのお受験事情を笑いと涙を交えて描いたハートウォーミングドラマ。デリーの下町で洋品店を営むラージ・バトラと妻のミータは、娘を進学校に入れることを考えていたが、親の教育水準や居住地までが合否に影響することを知り、高級住宅地への引っ越しを決める。しかし、その努力もむなしく受験の結果は全滅。肩を落とす2人に、ある進学校低所得者層のために入学の優先枠を設けているという話が舞い込む。追いつめられたラージとミータは優先枠での入学を狙うために貧民街への引っ越しを決行するが……。夫のラージ役をカーンが、妻のミータ役をパキスタンのトップ女優で本作がインド映画初出演となるサバー・カマルがそれぞれ演じる。

2017年製作/132分/G/インド
原題:Hindi Medium
配給:フィルムランド、カラーバード 多分映画com.からです。

 

 

やっぱり映画って良いですね。

他のところにもブログがあるのですが、ここで映画のブログとしただけで

気持ちが明るくなります。

介護のこと、ボランティアのことも書いておりますがご容赦下さい。

 

 

さて、このヒンディー・ミディアム 、インドで、ヒンドゥー語で教育された人の事を言うらしいです。

主人公のラージとミータ二人とも公立校出身なのですが、ヒンドゥー語で教育されたkたら

英語が苦手、英語が苦手だと大人になってどれだけ苦労するか身を持って知っている人たちです。

一方、有名私立校は、英語が主流、独自の教育プログラムも持っていて、卒業してからの

将来は、夢のようと彼らは思っていました。

 

しかもラージは、教育はなくても仕立て屋でかなりのお金持ちになっておりましたので

お金に関しては行かせられない訳ではありません。

妻のミータは、娘のピアが、将来英語ができないために鬱になったり薬に走ったらと

心配でなりません。

うーん。わかるわあ、この気持ち

勉強を押し付けたいとは思わないけれど、将来の選択肢が狭まってしまうのは、避けたいと

思うのは親心

よくアカデミー賞のスピーチでも、親は貧乏だったのに、無理をして大学とか専門の学校に行かせてくれましたってスピーチ聞きますよね。

あんなことを言われたら親冥利につきます。

 

お受験のコンサルタントのようなところに行って、出来ることすべてをやるのです。

ところが親の面接となると、娘以上に問題です。

それでもなんとか、努力をしてお受験を迎える訳ですが、

受けてみるとお金は持っていても、商人の子供は受かりにくいと言うことがわかり

国の政策で低所得者層の優先枠を設けている有名校を狙おうと言う訳です。

 

そのために、引越しまですることになります。

ムンバイには、貧困な地域があることを知っていましたが、大きな町のデリー近辺にも

貧困家庭があって、日雇いで暮らしている人たちがいることを知って

びっくりしました。

水さえ困る人たちです。

映画を観ているうちに、なれない貧困生活、そっとペットボトルでも買って来たらどうなんだろうと思っておりましたら、ちゃんとそういう場面も描かれていて、この辺りはラージたちの困惑ぶりが笑えると共に、なんか違う方法を考えなければいけないんじゃないかと思うようにさえなりましたが、

彼らは、娘のためなら、必死です。まあそこが素敵なんですが、

しかし、そういう不正を行ってまで入っていいものなのだろうか。

色々考えさせられる映画でしたが、

親が、自分たちが味わった苦労を子供にさせたくないと一生懸命になることは

良い事だと思います。

 

今、自分はそこまで子どもにして来たかとずっと苦しめられています。

でも気持ちだけは優しい子供たちなので、そこは良かったかなと思っています。

 

最後に出演者たちですが、三大カーンのお一人イルファン・カーン主演で安定しているところに持って来て、妻役のサバー・カマル、チャーミングな女優さんです。子役のピアも可愛らしく脇の人たちもいい味を出しています。

ぜひ機会があったらご覧になってみてください。

 

アメバブログでも同じ記事を書いています。

こちらはうまく入れない事があるので、入れた時に入れておきます。

 

 

父97歳の誕生会

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壁にクリスマスの飾り付け



娘がどうしても父の誕生会をしたいと言うので

父と娘の予定が会う日に誕生会をしました。

10日遅れですね。

 

それでも、父は大変喜んで

大騒ぎでした。

 

娘と何回もハグをして、ダンスも踊ろうなんて

二人でやっていました。

 

娘はおじいちゃん子なんですかね。

昨年も誕生日を祝っている写真がありました。

 

で、昨年はあったかい靴下をあげていましたが、

今年は、外反母趾の父を心配して

足袋型靴下をプレゼントしていました。

 

父は、タバサちゃん(私の娘・仮名)は、いい子だから

早くいい人が見つかるといいねえ、

あと、3年で100歳だから、それまでに結婚してねと

約束していました。

 

でも帰る時に、

いい子だからお嫁にやるのは、もったいないねえとも言っていて、

複雑なおじいちゃん心を見せていました。

 

 

アメバブログにも同様の記事を載せています。

 

 

この記事を書いたあとに、母の施設に娘を連れて行きました。

母はおやつを食べたあと、疲れて部屋で寝ていました。

最近は、中々起きている母に会えません。

でも、おだやかな表情で寝ているので、しずかに壁に飾り付けをして帰りました。

 

次の日、父から電話があり、タビ型靴下がすごくいい感じだったそうです。

役に立って良かった。

 

 

12日台風がいよいよやってくる  弟が対処

弟が7時前から家を出て父の家に向かったそうです。

それでも多摩川を渡るのが買い出しの車で大渋滞だったそうです。

弟の家からも私の家からも

父の家に行くためには、

多摩川、野川、仙川と渡らなければならず

こういう台風の時は

お手上げです。

昼食、夕食と作り、10時頃には、帰るとの連絡が

ありましたが、

もう家の方では、多摩川氾濫のおそれがあるので

家を出ないようにとの広報車が走り、近くの市からは、緊急速報の

避難勧告の通知が

携帯やらスマホに届き始め、

弟の身が心配でした。

 

こういう時は動きが取れなくて本当にどうしようもありません。